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2007年 6月 19日 11.その4 コミュニケーションと記憶(1

6.コミュニケーションと記憶(1) コミュニケーションの際には何が必要か


 重症心身障害の方の支援に、身体的に苦痛のない快適な状態をめざすこと(安楽)、感覚の特異性や違いを十分しって、ケアをする重要性について、これまで示した。今回からは、記憶とコミュニケーションについて、考えることとする。前回、身体的に安楽、感覚的に安心した状況があって、はじめて重症心身障害の方は、自分の情動を外に表現し、周囲との関わりや交流に、意欲をもち始めることをかいた。

 重い障害のある多くの方は、その脳障害のために言葉で自分の意志を表現できない、また、相手からの言葉の表現の意味がなかなかがわからない。また、記憶についても十分、保持できないのではないかと考えられる。

 しかし、働きかけに、満面の笑みで返したり、全身の緊張で自分を表現しようとしている姿を日常的には、発見することが多い。すきな家族や職員やボランテイアを覚えていて、表情が変わる。言葉にならない、コミュニケーションの豊かさをしる瞬間である。

 びわこ学園の創始者糸賀は、職員がおむつ交換をしているとき、わずかに腰を浮かせようとして職員に協力の発信をしていた重症心身障害のことを描いている。それぞれが、一方的なサインをおくっていたが、気づかれぬまますれちがっていた。それが、あるとき共有され。職員は大きな衝撃と感動、そして無限の可能性を感じる。

 コミュニケーションは、元来一方的なものかもしれない思う。それはまるで片思いのようだ。一方的に思い、サインを発するがきづいてもらえない。しかし、ある時、伝わり、共有できる瞬間がある。そのときは、とても、うれしいような。そして相手の存在が自分の中で、姿を変えて、湧きだしてくるような、感覚が生じてくる。お互いが一方的なサインをだしていることに気づき、それを探ろうとする。共有の瞬間のよろこびをめざして、相手の姿ををみつめ、声に耳をすまそうとする。そこにコミュニケーションの本質があると思う。

 重症心身障害の方のように、障害がおもくて、その発信に気づきにくいが、確かに、人や環境に向けて多くのサインをだしている利用者の姿を経験する。それに周りががきづくかどうか?

 看護の仕事について3年目の看護師が語ってくれた。着替えや体位交換、吸引、ケアの仕事の時間には、コミュニケーションは少ない、と最初思っていた。利用者のコミュニケーションは、療育スタッフが行う、活動のところにあるのだろうと考えていたという。ことばがでない利用者は、自分のケアがよいのかわるいのか、言葉で反応してくれないのでわからなかったという。それが、看護師2年目の秋くらいから、急に、利用者の表情がみえてきたという。変化する表情が、全身の緊張が、眼球の動きが、分泌量の量と吹き出し方が、四肢の動きが、一瞬不随意運動が強くなるのが、皮膚の色の変化が、言葉にかわるものであることに気づいたという。そのときから、日常のなにげないケアの中に、利用者との会話があって、仕事の楽しさが倍加した。なにかしら、声かけしながらの、ケアしている自分に気づいたという。

 コミュニケーションの際には何が必要か

  • 1.利用者の行動を、ただひたすら観察して見る、そしてその意味を考えて見る
  • 2.医療、看護、介護、療育の知識も総動員し、目前の利用者を評価し、対応を変化させて見て、そのときの本人からのサインを読み取る。
  • 3.感じ合うこころを、発見する。
  • などではないかと思う。次回以降一つ一つを考えて行くことにする。