コラムトップへ戻る
2007年 6月 26日 12.その5 コミュニケーションと記憶(2)

7.コミュニケーションと記憶(2) ひたすら観察し、その行動の意味を探る


 前回、重症心身障害の方は、一方的にサインを発していることが多く、その意志がまわりに気づかれにくい特徴があると記した。しかし、見つめ合うまなざしや、声なき声に耳をすます中で、思いが共有できる瞬間があり、そのときの喜びは大きい。

 前回記したのコミュニケーション、の大切な3つのポイントのうち

 1)ひたすら観察し、その行動の意味を考える

 

 について考えてみたい。

 ある朝病棟に行く。女性の利用者の方が車椅子に座り、上肢を挙上させ、力をいれてふるわせている。声がかすかにでている。表情はややきつい。繰り返しているが、発作の時のような意識消失はない。職員に、彼女の行動はどうして起こると考えているのかと聞いてみた。職員は、「多分彼女の手の動きは少し怒っているのよ。ほらMさんが机の上を、ドンドンとたたく音に、イライラして、上肢をふるわせているのではないかしら。」と説明してくれた。観察した行動の中に、連関した意味があることにきづく

 それではMさんは、なぜ机をたたくのか? 彼は視覚障害があり、自分のまわりの手がかりを、音をたよりに得ている。机をたたくことによって、自分とまわりの世界を確認していたのだ。別々に、生じていたと思われる行動が、つながっていた。

 次の病棟の廊下には、Bさんがいた。自分のシャツで、上のほうにまくしあげ、顔がすっぽり隠れるまで、覆ってすわっていた。彼女は、多くの時間、このように衣類を、顔を覆うようにかぶって、過ごしている。実は彼女にも視覚障害がある、広すぎる世界や奥行は、彼女は把握、認知できず、不安になる。自分を覆う膜を衣類でつくって、その内部で、触覚や空気のぬくもりで、安心して自分の存在を確認していたのだ。よくなれた人が声をかけると、手をだしたり、食事の時間になったりすると、彼女はその膜の中からこっそり顔を出す。

 別の病棟にいくと寝たきりのNさんが、僕の顔をみつけ、視線をむける。次の瞬間、笑顔がこぼれた。こちらが癒されたような気持ちになる。

 重い脳障害がある人の多くに、人の顔を追視する力がある。そしてすこぶる早いタイミングで人をみきわめ、笑顔がでてくる。この認知、情動の発動のスピードには驚かされる。CT上、大脳皮質がほんのわずかにしか残損しない方でも、この追視やそれに続く笑顔の反応が認められる方は多い。情動や表情は、大脳皮質が広汎に障害されていても、多くの方で認められる。これは、視覚が、情動の中枢である大脳辺縁系の扁桃体で、情動を引き起こし、大脳皮質の運動の中枢である運動野を介さないで、直接、笑顔の表情筋に接続すると解釈されている。扁桃体やそれを含む大脳辺縁系は、脳の深部にあり、原初的な脳で、脳損傷から免れていたのだ。大脳皮質への意味の参照がないぶん、重症心身障害の方の表現は、より直接的だ、満面の笑顔、全身の不快、前第一びわこ学園園長の高谷は、これを「はだかのいのち」と表現した。

 不適切なケアは、不快を引き起こし、扁桃体から視床を介して心拍や血圧や呼吸に影響を与え、身体的不調をもたらす。

 逆に適切なケアやいいコミュニケーションは、それを通じて、身体をも安定させる働きがある。重症心身障害の方のケアやコミュニケーションが、直接的に情動を介して身体に影響を与える可能性があることを考えると、声かけやコミュニケーションは、医療や看護の世界でもとても重要である。

 現在、我々の施設で、大学院で基礎看護学を研究している学生が、重症心身障害のコミュニケーションというテーマで修士論文に取り組んでいる。重症心身障害の方のコミュニケーションを考えることが、身体性にアプローチする医療看護の原点であることを考えると、とても重要な研究であるといえる。

 次回は、障害が重く、反応の少ない重症心身障害とのコミュニケーションについて考えて見たい。