2018年  年頭所感 その1

 

びわこ学園医療福祉センター草津施設長        口分田 政夫

 

ケアを通じて、お互いの心の鏡に、いい映し合いを

 

年末年始のゆく年を惜しみ、くる年を迎える様々な企画を病棟で、企画していただいたことと思います。その中にびわこ神社への参拝、おみくじ、書き初めなどがあり、正月の雰囲気が伝わってきました。

 

 ところで皆さんは、初詣にいく神社の中心に何がおいてあるかご存じですか? 幼い頃、村の神社の一番奥にどんな神様がいるのだろう、とのぞいてみたところ、鏡がおいてあるだけで少しがっかりしたことがありました。なぜ中心が鏡なのか。このいわれについては、ネット上では様々な説明があります。銅鏡がすごく希少価値があって、大切にされたとか、「かが(我)み」の我をとるとかみ(神)になるとかの説明です。僕は、びわこ学園の創始者、糸賀先生がその思想形成において影響を受けたとする哲学者西田幾多郎の哲学の中にその手がかりがあることを見つけました。

 

  西田は、自覚についてその意味を考える中で、自己を外界を感じる場所と定義し、さらに「自己という場所に置かれた鏡に映るものが知覚されることが自覚であるとしています。つまり、視たり、聴いたり、触れたり、味わったり、など感じることが、自己という場所の鏡に映し出されてくることが自覚というのです。

 

  私たちが他者と向き合うとき、こうした映し出されている自己の鏡が相手の鏡にも映し出されてきます。また、自己をも映し出された他者の鏡が、自己の鏡にまた、映し返されてきます。糸賀のいう、自己と他者の協働とは、こうした鏡の映し合いともいえます。)

 

 ケアの現場では、相手の姿が自己の鏡に映り込む中でケアを実践します。その結果、ケアをする人の姿が相手の鏡に映り込みます。そしてケアされた方の全身から発せられる姿が自己の鏡に映りこんできます。相互的な関係の中では、自己の鏡には、他者に写り込んでいる自分の姿も写し込んでいるのです。ケアの現場では、相手の姿が自己の鏡に映りケアを実践します

 

 この限りなく映し合いの関係が相互関係の発展です。手鏡を持って、鏡台の前にたつと、鏡に映った自分の姿が、手鏡に映り、それがまた、鏡台に映り、無限とも思えるように映し合いの像が連続していきます。人と人との関係も、同じように相互関係が無限に発展していく可能性をはらんでいるのです。

 

 何人かの職員が、「利用者は、私の鏡のように思えることがある。私の心が乱れていると利用者からのいい表情が引き出せない。私の心が充実していると、利用者の笑顔が引き出せる時が多いと感じる。私の心のバロメーターにもなっているように感じます。」と語ってくれました。 自己を映し出す鏡を重症心身障害の利用者にみていたのです。

 

「本人さんはどう思てはるんやろ」

  びわこ学園の初代園長岡崎英彦先生は、「本人さんはどう思てはるんやろ」と常々語っておられました。これは利用者を自分の思いでみるのではなく、相手の心の中に置いてある鏡に何が映し出されているのかをみてみよう、という問いかけととらえることもできると思います。

 

 糸賀先生の「この子らを世の光に」、という言葉も以下のように理解できます。重症心身障害の方は、ケアによる支援など多くの人との関わりの中で初めて生きていくことができる存在です。すなわち多くの関わる人の姿が、その内面にある鏡に映し出されているのです。重症心身障害の方が、世の光に、すなわち社会の希望になっていくということは、そこに映し出されている関わる一人一人の希望にもつながっていくということにならないでしょうか。このように考えてみると、この子らを世の光に、という言葉をまた、新しい視点で、とらえることができると思います。

 

初詣の意味                                         

 ここで改めて、初詣の意味を考えてみます。今年1年の願いを込めて神社に参拝します。神様がこの願いをかなえてくれるではなく、神社の中心の鏡に私たちの願いや思いを映しにいくのです。神社にある鏡に映し出された、願いがそこで、神社という場所でパワーアップされて我々に映し返されてきます。願いをかなえてほしいと参拝することが、自分自身の思いを鏡で確認し、それに向かって生きていくことを自分自身に誓う場や機会になっているのではないでしょうか?

 

正月に供える鏡餅も同様の意味が込められていると思います。鏡の代わりとなる鏡の形をしたお餅を、新しい年への願いや思いを映し込みながら、家の神様を感じるところに飾ります。そして家中に、1年の願いを満たすのです。鏡開きには、その鏡餅を、一人一人に切り分け、鏡餅に映し込んだ願いを、お餅を食べることで体内に取り込んで確かなものとするのです。

 

ケアの中でめざすこと

 これまで神社の中心に置いてある鏡の意味について私見も交えながら、述べてきました。私たちの仕事の現場は、利用者と家族と地域の方とそして職員同士の鏡の映し合いの現場といえると思います。そしてそれを最も、象徴的に映し出すのが利用者一人一人という心の場所に置いてある鏡といえます。今年1年、お互いが、お互いの場所にある鏡に、よい映し合いができる1年でありたいと思います。