センター概要
センター開所までの歩み
1994年〜
大津市における“大津方式”や“障害児保育”の「申し子」のような人たちが養護学校を卒業することになって日中活動の場が必要になっていました。
行政担当者がニーズを感じとりつつ、当時の施策の重点課題として重症心身障害者の日中活動の場が必要であることを認識しての新規事業でした。
1996年〜
「すみれはうす」は瀬田と坂本の2か所になり、瀬田の方はもとは自治会館であったところを部分的に改修したものでしたし、坂本についてもプレハブの建物でした。結局仮住まいという認識で2か所の整備をしてきたので、早くきちんとした耐震設計がされた施設の中でのびのびと日中の活動・療育をしたいという思いを強くしてきていました。
2000年〜
また養護学校や「すみれはうす」「やまびこ園」の親の会を中心に何度も話し合い、○送迎○給食 ○プール ○宿泊できる施設 ○リハビリテーションなどの専門スタッフの配置 ○ヘルパー事業 ○相談機能などの要求をだし、そのほとんどが実現するという画期的なスタートでした。
その経過から、生活支援センターもできたともいえます。通所部分でいえば、人員配置はいずれ訪問療育をするような形も展開することも視野に入れ、職員の人員配置を考えはじめました。障害の重い人たちが絶対に入ってくるし、その人たちのためのセンターにしていく必要があり、看護師の配置はセンター発足時につけておかないと後からなかなか配置できないので、出発当初に5人配置することにしました。
障害の重い医療的ケアの必要な人たちが通所されたときにはきめ細かな対応ができるよう、姿勢だとか食事だとかそれにみあった車イスや椅子が必要になってきます。そうした視点で常時見る専門職が必要です。やまびこ園の指導も合わせて3名のリハビリ.スタッフも配置してもらいました。こうした専門スタッフを配備することで、障害の重い人たちを受け止めていく基盤ができ、スタートしました。
8つの理念
発達保障
人権保障に例外を作らない
ノーマライゼーションの推進
自己変革のねがいに寄りそう
職員も共に歩む
どんなに障害が重くても、いのちを輝かせる
五つの壁を越える
1.「利用したくてもサービスがない」
2.「知らない、知らせない」
3.「サービスがあっても(制約があって)利用できない」
4.「すぐに利用できない(利用できるが時間がかかる)」
5.「利用したいがフィットしない」